貧血の友と見る海盂蘭盆会


 貧血の友と見る海盂蘭盆
八月の句会には、三分の一くらい、戦争絡みの句が出される。忘れちゃいけない、伝えなければ。
一年に一度でも、そういう気持ちになることは悪いことじゃない。でも、作品の議論にならずに、命や平和や、戦争についての思いが行き交ってしまう。それは果たして、俳句を経由して話すべき問題なのか。だけれど、真っ向からは否定できない。私が、戦争を知らないからである。
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生しらすを食べに、江ノ島へ行った。気圧の変な日。行きの電車から、病持ちの友人は貧血で立ち眩む。
何ヶ月も前から、「生しらすだよ、私たちに今必要なのは、生しらす!」という感じになっていたので、江ノ島について、もう早速「生しらす生しらす〜!」と結論を急ぐ。が、頃は盆中の14日。「今日は漁はお休み。たぶんどこの店にもないよ」と、あっさりと言われる。まぁそうか…。俳人なのに季感がなくて情けない。
「私たちに今必要なのは、生しらす!」とか言ってたわりに、ないとなれば、釜揚げしらす丼と、サザエの卵とじ丼なんかを食べて、さらに貧血の友人は「最近おなかが減ってしょうがない」と、別の店にて、ミネストローネとフライドポテト、バケットを貪る。
飽食…と言われても仕方がない、が、貧血の彼女もそれなりに必死だ。私も彼女の食欲に安堵を覚えていた。
泳ぐでもなく、海辺のカフェから海を見る。くだらない話、ときどき、現状報告。私はビールを二本飲む。やっぱり気圧が変で、なにやらうねるものを、身内に抱えて帰宅した。(すなみ・のりこ=出版社勤務)