俳人ではなく歌人なら・・・

 
 俳人でなく歌人ならこの恋はうまくいったでしょうか五月雨

 少し前のこと、「歌人俳人の合同歌句会をやるよ〜」というので参加した。一首+二句持寄り。
 私はなんだかんだ十年ほど俳句をやっている。が、自分が俳人であるという意識は薄く、「俳句と短歌は違うけど、俳人歌人に差異はないんじゃないか」と思っていた。   
 しかし……。
 選をして、点数がついた後は合評会。ある歌人が、ある句についてこう言ったのだ。「この感情はどこに起因する感情なのか曖昧だ」と。
日頃、俳句では、因果や理屈は「知が過ぎる」「観念的」と退けられ、「どこに起因するのか」は問われない。いやそれ以前に俳句は、思いを綴る文字数を持たない。
 短歌と俳句の差異は七七。たった十四文字の違いで、表現の築き方が異なってくるということ。そしてそれに伴って作者の日常的な視点の置き方や思考の仕方も、変わる。私はたまたま俳句に出合って、俳句的に世界を眺めるうちに、俳人になってきた、という事実。
 翻り。
 その昔、短歌を選んでいたら……俳人でなく歌人なら、あの恋を伝えるすべがあったかもしれない、と考えてみる。
 でも……俳人だから仕方ない。仕方ないナァと、ビールを飲む。
 ちなみに、歌句会の日に出した俳句のひとつは、
 またSかMかの話虎が雨
でした。(すなみ・のりこ=出版社勤務)