謝罪の理由

 父方の祖母が今年94歳になる。
 少し体調が悪そうだが、それでも元気に過ごしている。そんな祖母が90歳を越えたあたりから、私を見ると「ごめんね」と謝罪の言葉をかけるようになった。その謝罪の理由は、私に父親がいないのは祖母自身のせいだというのである。
 確かに私は父親がいない。私の「父親」は、私の母親と離婚して、今では新しい家庭をもっている。しかし、その理由がなぜ祖母のせいというのだろうか。祖母とはそれこそ幼い頃からずっと会い続けてきたので、遠い存在ではないし、これまでそんな謝罪は一度も聞いたことがない。まして私にとって「父親がいない」ということは、確かに不都合なことはあったけれど必ずしも不幸なことだけではなく、いないからこその幸せもたくさんあったのである。
 しかし、おばが言う。
 「人間、年をとってくると胸のうちに秘めてたいろんなことがきっと出てくるのよ。その胸のうちは、楽しい思い出というよりむしろ苦しいことや後悔のほうがずっと先だつんじゃないかしら?」
 小学校の帰りに、祖母の家によってお茶と味噌をごちそうになり、テレビを見ながらたわいもない雑談をする。私が覚えているのはそのことなのに、謝罪のほうが先立つのであれば、私はそのほうがずっと苦しい。そして苦しいけれど、聞かなければならないひとつの「理由」である。(J=大学院博士課程)