キリギリスの生き方

 夏の間に必死に冬の為に食料を蓄えようと働くアリ。働かず、自らの好きな音楽だけに興じ、遊んでいたキリギリス。やがて冬が到来し、食料を蓄えたアリとは対照的に食べるものがないキリギリス。キリギリスはアリに食料を分けてもらうように頼み、アリはキリギリスが夏の間働かず、冬へ備えなかったことを諭し、キリギリスを助ける。
 広く知られている「アリとキリギリス」の寓話であるが、私はこの寓話が描く「みんな仲良し」的な世界観が嫌いである。
 私は働くことの価値を否定しているのではない。働かないものに与えるものはない。だからこそ、「アリとキリギリス」の原典においてアリはキリギリスを助けず、キリギリスは餓死するのである。その原典がいつの間にか現在のような生ぬるい寓話に成り下がってしまっている点が私は嫌いなのだ。
 そしてもう一点。働かないこと、人生最後まで遊び興じること、いつも後先のことばかりに腐心する人生を選ばないこと、実はそれも一つの生き方である。この生き方はかなり身勝手な生き方で、それこそ自ら地獄に落ちるような生き方だろう。しかしながら私は思うのである。われわれには天国に行く権利と同じくらい地獄に落ちる権利もあると。群れで一緒に仲良く暮らすアリよりも、一匹で自由に生きるキリギリスのほうにそれなりの魅力を感じるのは私だけなのだろうか?(J=大学院博士課程)

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※本日(J=大学院博士課程)の記事は、管理者の都合により掲載時間がたいへん遅くなりました。心よりお詫び申し上げます。