納税の責任

 私たちは義務教育で勤労、教育、そして納税という「国民の義務」を学ぶ。しかしながら、なぜそうした義務が発生するのか、ということについて深く追求することはあまりない。とくに「納税」については、その義務を果たさなければ自らが汗水垂らして築いた資産は没収され、滞納すれば利子が発生するという罰が存在するにも関わらずその根本は決して問われない。

 年間数十万という微々たる額ではあるが、私も税金を支払い、それとは別に消費税や酒税などを支払っている。そのたびに私はこの根本問題を考えるのだが、私は、私たちが(生まれながらに強制参加ではあるが)日本国という共同体を維持する(べき)一員と仮定されているからだとその理由を考えている。この共同体に支払う税金の対価として、私は死刑を含めた司法制度の維持を望んでいるが、望むことについては構成員それぞれあるだろう。だからこそ、私たちは異なる事柄について「国が悪い」「社会が悪い」と叫ぶことができるのである。しかしながら、批判の前にそうした社会や国に出資し、この共同体を存続させている自らの納税の責任を省みる必要があるのではないだろうか。納税は義務だろうか。自らの資産を投じてまで維持しなければならない共同体なのだろうか?ミルトン・フリードマンは言う。「政府は決して学ばない。学ぶのは国民である」(J=大学院博士課程)