8月15日の明治神宮

 毎年、終戦記念日の8月15日には東京・九段下にある靖国神社にできる限り参拝することにしている。理由はいくつかあるが、やはりA級戦犯も含むすべての戦没者に手を合わせるためである。今年も例年のごとく靖国神社へ向かった。靖国神社周辺ではこの日、様々な政治団体が演説等の活動をしているのだが、一人の運動員が突然私のすぐそばで「極左勢力、ぶっ殺せ!」と叫んだ。見慣れた光景なはずなのになぜかひどく気分が悪くなった。心が落ち着かず、このままではしっかりと今日この日に考えるべき事を考えられないと思い、靖国神社を参拝後、一人明治神宮へ向かった。なぜ明治神宮へ足が向いたのか正直わからない。1945年8月15日を考えるときに明治という時代にあった二つの戦争―日清戦争日露戦争―は切り離せないと考えているからかもしれない。理由はどうであれ、とにかく足は明治神宮へ向かっていた。
 明治神宮の空気はまるで九段下とは違っていた。時間がゆっくりと流れ、家族連れ、カップル、友人同士、そして海外からの旅行者などがその時間と空気を共有し、それぞれがそれぞれの時間を謳歌していた。そうした空間でようやく今日という日を自ら反芻できた気がした。
 思想は自由だが、慰霊の日に例え相手が誰であれ「ぶっ殺せ」と叫ぶ気に私は到底なれない。(J=大学院博士課程)